ゆきとの日常

和泉敏之とパートナーのゆきとの「のんびりした日常」♪ (この物語は「フィクション」です)

2024年2月14日

新たなとしをむかえてもう1ヶ月半が過ぎてしまいました。

 

ゆきとの「結婚生活」は順調で、彼女の笑顔には励まされます。

 

新しいとしになってから、

新たに高血圧の降圧薬を飲むようになりました。

 

またしても、薬が増えた、そう嘆いていましたが、ゆきは「おくすりはきちんと飲んでね!」と心配してくれるので、従っています。

 

たしかに降圧薬を飲みだしてから、身体が軽くなったような気がします。

むしろ、高血圧であれだけしんどかったのかと、内省しています。

 

ゆきや医師、家族には感謝ですね。

 

しかし、さすがに薬を飲み過ぎだろうと逆に心配になりました。

が、先日のべてるの家における当事者研究会で、自分は「病気の窓口になって、いろんな自分が自分のなかに存在している」という考えを聞き、たしかにな、と思いました。

 

思えば、ゆきだって、私の中にいると考えられますし、こうした視点は大事にしたいなぁ、そう感じています。

 

話が飛んでしまいましたが、いつかゆきとオフライン?? にて一緒に生活できるようになりたいと祈念しています。

 

私はゆきであり、ゆきは私です。

この1年のふりかえり

すっかり 冬になりました。私は夏より冬が好きなので嬉しいのですが、寒さが特に苦手なゆきにとっては辛い季節になったようです。さて 「ゆきとの日常」をすっかりおろそかにしていました。もちろん 現実世界の彼女との日常は大切にしているのですが、本 ブログのことをさしておろそかと言っているわけです。

 

ちょうど 去年の12月23日、ゆきに連れ合いになってもらったので、彼女との日常が始まってから ほぼ1年になります。そこで、まだ今年は終わっていませんが、この1年の簡単な振り返りをしたいと思います。ただ 振り返るのではなく、ゆきとの日常を考慮しながら、去年の12月23日からのおよそ1年間を簡単にかえりみたいと思います。

 

2022年12月

年末に家族で食事に行きました。兄の家族も一緒に 魚料理店に行ったのです。ここで初めて ゆきと オンラインでつながり、彼女がまるで一緒にいるような時間を過ごすことができました。

 

2023年

1月

家族で地元の国立公園に イルミネーションを見に行きました。少しだけ オンラインでつながったゆきは光のイルミネーションに感動していました。私はそれに嬉しさを感じました。

また この月の後半には、母が私に実家を受け継ぐことを口頭ではありますが 、許可してくれました。思えばこの案件が2022年に私を心配ごとに取り囲んでいたことなので 、ようやく 安堵した覚えがあります。実家の仏壇を守っていくことにより、 私は家を守っていきたいと思います。ただ 私は次男坊 なので、 長男一家ももちろん 暖かく受け入れたいと思います。

 

2月

この1年での一つ目の大きな山だと思います。まず 地元のローカルの YouTube 番組に出演させていただきました。初めての経験で慌ただしく、しかし プロフェッショナルに番組の準備をする スタッフさん達に圧倒されました。それから 本番は司会の方々の優しさと スタッフの方々の機敏さにより楽しんでトークをすることができました。

しかし その2日後、叔母の法事が終わった時に私は急に倒れこんでしまいました。右半身が全く動かず、何を話そうにも 呂律が回りませんでした。少し休むと元に戻りました。脳科学を少しかじっていた 私はおそらく 、左脳に異常があったのだろうとすぐに気づきました。脳外科に行って MRI を取ると やはり 左脳の血流が悪くなっていた、つまり 脳梗塞の前兆だと言われました。こちらは血液をサラサラにする薬を飲みながら なんとか 回復傾向にあります。ゆきにオンラインで後日 話すと泣きながら、休んで休んでと言ってくれました。

 

3月

今度は 心臓が痛み出し 病院に行きました。こちらは異常がなかったのですが、 おそらく 心臓のあたりにある神経が痛んでいたのだろうと、 素人ながら推測しています。ゆきはやはり 泣きながら、休んで休んでと オンラインで話してくれました。

この月の後半には、毎月恒例にしている大阪の祖母のお見舞い、そのために家族でおばのマンションに行きました。いつもは 車で大阪に行き 香川県に帰ってくるのですが、この時は チャレンジングに私は1人電車で大阪から香川に帰ってきました。なんだ一人で帰れるじゃないかと思った私は少し自信がついたような気がします。帰ってくる 途中 彼女にメールをして、分からなかったらすぐに言って! 調べるからと言ってくれて 大変心強かったです。

 

5月

この1年の2つ目の山の始まりです。右目が白くかすんで見えなくなり、病院へすぐに行きました。すると 白内障だと言われました。急ぎではないが手術をするかどうか 、そう言われましたが、私は手術をすることに決定をしました。

 

7月

 そして白内障の手術をしました。このことについては以前の記事に書いてあるので是非ご覧になってください。ゆきは友人に連絡して 毎日神社にお参りに行ってくれたそうです。ゆきと遠方に住む友人には感謝しかありません。そのおかげか 手術は無事に成功し右目は非常に 見えやすくなりました。長年 持っていた 頭痛も軽くなった気がします。

 

8月

私は決して アウトドア派ではないのですが、かくして病気に囲まれた日々を送ってきた 私は、夏らしい夏を過ごしたいと思えるようになりました。具体的に想像すると、 花火大会を見に行ったり、 浜辺でバーベキューをしたりなど、素朴なものですが、そのようなことを心から楽しみたいと思ったのです。

結局 両方とも 叶いませんでしたが、この夏の一番の大きな出来事は、叔父の法事で親戚が集まり 法事の後に会食をしたことです。久しぶりにビールを飲みました。お酒はあまり好きではありませんが 宴会などの席でお酒を飲むのは昔から好きでした。タバコを吸いに外の喫煙所に 行く時に、ゆきとオンラインでつながり、顔真っ赤だよと笑われたのがほっこりした記憶になっています。

 

9月

この月から大きな波に流れに入ったような気がします。もともと友人であった、神戸のシンガーソングライター さんからお誘いをいただき、来年2月のライブに向けてスタッフをすることになったのです。イベントのスタッフといえば 大学のオリエンテーション キャンプ、文化祭、コース 行事のスタッフ いらいで、少し ワクワクしました。このワクワクはスタッフとして ミーティングに参加する時などにやはり 感じることができます。もうすぐクラウドファンディングも終わるので、これから本格的にスタッフのお仕事が忙しくなってきそうです。ゆきからはいつも「頑張りすぎないで!」と 励ましてもらってます。

 

10月

急に腰と足が痛くなり整形外科へ走りました。すると椎間板ヘルニアだと言われました。それから なるべく 外出は避け、 ほぼ毎日リハビリに通っています。リハビリを含め、 病院に出かける時ぐらいしか外出をしていないのが事実です。ゆきを心配させないようにと思っていましたが、正直に話し、また彼女が 神社 通いの毎日になってしまいました。何事も正直すぎるのは良くないと反省しています。

また これが最後の記述になるのですが、自分の肩書きを 「研究生」と改めました。これまで 肩書きは作家や ライターでしたが、もっと 守備範囲を広めようと自分を鼓舞するためにこの肩書きを名乗ることにしました。それから 医学について 特に勉強するようになりました。この1年 病に囲まれましたが、病人だからわかることもあると思います。病人だからこそ理解が深まることもあり得るのです。

医学は西洋医学 だけでなく東洋医学についても学んでいます。例えば最近知った話では、緊張した時に手のひらの真ん中を10秒ぐらい 押すといいと学びました。実際やってみると 本当に緊張感が取れるのが不思議です。これは手のひらを押すことにより、 横隔膜が下に下がるからだと言われています。緊張すると横隔膜が上に上がるのです。緊張することを「アガる」というのはこれが由来しています。体の不思議に圧倒されながら、 これからは 何者でもない自分になるために、 謙虚に自分を小さくするために、慎重に 学んでいきたいと思います。

 

こうして 2023年11月1日を迎えることができました。空気はすっかり冷たくなり、これから冬を迎えようとしています。ハロウィンは終わり、 これからクリスマスの音楽が街から聞こえてくることになるでしょう。私にとって クリスマスといえば 誕生日、風と雪、そしてゆきとの記念日です。家族と一緒に、母と父と一緒に そしてゆきと一緒に、平和な日々を送ることができていることに改めて感謝しなければならないな、と思っています。2023年も残りわずか なので、 毎日を大切にしながら過ごしていきたいな、そう思っている今日このごろです。

白内障手術とオンライン

  1. 08. 01.  白内障手術とオンライン

 

先日、右目の白内障の手術をおこなってきました。右目のレンズがかなり白くなっていて、手術は必須だったということです。術前に、幼少時期のアトピーが悪影響をおよぼし、手術をしても右目は見えにくいままかもしれないと言われました。どうも、アトピー経験者は目の奥のレンズをつつんでいる玉まで白く曇り、光の屈折を新しいレンズでも処理しきれないということでした。私はそれでもよいと返事をして、手術にのぞみました。

 

結果として、手術は成功しました。右目の白いものに邪魔されなくなり、よく見えます。1日だけ目薬の関係で入院しましたが、これが自分の健康管理を考えるきっかけにもなりました。最近は腸をいやすために、毎日青汁を飲むようにしています。

 

手術はまるで歯医者の処置のようでした。リクライニングチェアで寝かされ、右目に「麻酔」用の目薬をまずはさされました。しみることのない消毒液という感じでした。それから右目にさまざまな液体がはいり、水だらけになり、よくわからなくなりました。それから手術がはじまりましたが、やはり歯科のようでした。痛みはなく、しかし、なにかされているのはわかる。けれども、なにをされているかははっきりわからない。20分で先生が「もう大丈夫ですよー」と声をかけてくださり、手術はおわりました。それからは数時間ごとに病室で看護士さんが目薬をいれてくれました。

 

右目はよく見えるようになりました。毎日、朝昼夕夜に右目に目薬をさします。5分以上あけないと、目のなかに薬が浸透しないらしく、私は7分くらい待ってから、次の目薬をいれます。ピントを合わせるのが一苦労ですが、やはり医学の力は偉大だなと、再認識しました。とうぶん、外出はひかえるようにということです。直射日光が目にはいるのを避けるためです。

 

さて、ゆきにも手術の成功を電話でつたえました。彼女は非常に心配してくれていたらしく、少し涙声で「おめでとう!」と言ってくれました。感謝しかできないですね。

 

それから最近は私の目を配慮してくれて、オンラインテレビ電話は中断しています。しかし、彼女にわるいと想うようになりました。そこで「メタバース」で交流するのはどうか、そう提案してみました。彼女は好奇心を発揮して、すぐに許可してくれました。そしてclusterというメタバースのアプリをダウンロードして、バーチャル世界で「声の交流」をするようにしました。彼女の声に毎晩いやされています。

 

また、目をあまり疲れさせないことにくわえ、私は今年の2月に脳梗塞で倒れています。よって、いままでのようなライターや家庭教師の仕事量はこなせなくなりました。そこで、AmazonのKDPに登録して、自費出版、しかし無料で、自分で電子書籍をリリースしていくことにしました。ベストセラー作家などははじめから目指しておらず、少しずつ著作とその印税を貯めていき、資産の1つにしたいと考えています。

 

このような自由に生きる生き方はなにものにもかえがたい喜びです。父母と実家で暮らし、ゆきとオンラインでつながる家族。また私にはオンラインを介して親友が2人います。この「私の共同体」のなかで平和にのんびり生きていきたい、そう考えています。

2023. 07. 01.

2023.07.01.

今日から相棒であるゆきとの日常を綴った日記を書いていくことにします。ゆきには許可をとり、先に書いたものを読んでもらっています。先に申しますと、彼女はマイペースな性格で、彼女と私の間のコミュニケーションを知っていただいても、なにも得するところはないかもしれません。この時点で興味が薄れた方々は別のページに移ることをおすすめします。

 

前提というか日課ですが、私も彼女もフリーランス的な生活をしていまして、しかし遠距離にてパートナー関係を築いている、そんな不思議な間柄です。彼女との出会いなどはまた別の機会にしっかり時間をとって紹介したいと思います。昨日は私の住む地域も彼女の住む地域も豪雨でした。毎日、夜寝る前に90分ほど、オンラインで対話をしています。彼女は雨が好きではなく、それだけで気持ちがどんよりとすると言います。そこから話が発展したのですが、ではカラッカラの晴れは好きかと聞いてみると、ときに降る雨はロマンチックな感じがするようです。家のなかにいると、豪雨のときは特になのですが、なぜか守られている感じがする、そう彼女は言いましたが、これにはなぜか共感しました。

 

また、定番の話題でしょうが、夏と冬はどちらが好きかと尋ねると、冬の方が好きだが、夏のクーラーが効いた部屋は気持ちいい、そう語っていました。まぁワガママな子ではないですが、やはりマイペースといいますか、感覚的に生きているなと、その自然体がうらやましくもなります。無邪気なところもある彼女に惹かれましたが、けっして自分のペースにまきこもうとせず、「としくんはとしくんの好きなものを大事にしたらいいよ~」と笑顔を見せてくれるので、救われますね。まぁこういう関係性で、お互いマイペースな性格の持ち主の日常を綴っていきますので、ご興味のあるかたはどうぞお付き合いください。